2023/01/02

【2023年最新】女性の国会議員の割合や人数は?世界から見た日本の女性議員の現状





長年、日本の政治分野への女性参画は国際基準に照らして「遅れている」と評されてきました。男女共同参画の実現に向けて様々な取り組みが行われる中、日本の女性議員の状況はどう変化したのでしょうか?

戦後の男女普通選挙の実現を起点に、昭和の歴史からひも解いていきます。









日本の女性議員の割合


衆議院参議院全体
女性議員数(割合) 46人(9.9%) 64人(25.8%) 110人(15.5%)


まずは総務省の統計から、日本の女性議員の割合を見ていきましょう。

2023年2月現在、国会議員総数 711名のうち女性議員は 110名となっており、女性比率としては 15.5%と2割に届かない状況となっています。

また、議院別に見ると衆議院が 9.9%参議院が 25.8%となっており、参議院の女性比率の方が衆議院と比べて2.5倍ほど高いことが分かります。





グラフを見ると、戦後の1940年代後半から女性議員が登場しています。

参議院の女性比率が衆議院より2倍以上高い傾向は変わっていませんが、その参議院でさえも 10%を超えたのは 1990年頃になってからでした。

一方、衆議院は1990年代も1~3%台と低く推移しており、2000年になって5%、現行の 10%前後をキープできるようなったのは 2014年以降となっています。

全体を通して見ると決して高い水準とは言えませんが、両院ともに増加傾向にはあると言えます。


なお、1983年の第13回参議院選挙から制度が変わり、それまでの全国区に代わって「比例区」の名前で『拘束式比例代表制』が導入されました。この比例代表制では、政党が自ら順位をつけた比例名簿を提示して有権者が「政党名で投票」するため、各政党の意思で候補者名簿に女性候補を記載できるようになりました。

少なからずこれが影響し、グラフ上の1983年前後には女性比率改善の分岐点が見て取れます。









昭和に始まる女性議員の歴史

女性議員が初めて誕生したのは、1946年(昭和21年)に行われた第22回 衆議院総選挙においてでした。

当時は敗戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による間接統治下にあり、満25歳以上の女性が日本で初めて参政権を認められた「男女普通選挙」となりました。明治時代から続いてきた、女性たちの参政権を求める運動が実を結んだ形です。





初回の普通選挙では女性議員が39名誕生しています。年齢の分布を見ますと40代の女性が最も多くなっていますが、20代後半~30代前半の女性が当選しているのも特筆すべき点です。

職業の内訳としては、医師や会社役員の女性が約3割を占めたほか、教員や助産婦、主婦など様々な立場の方が当選しています。しかしながら、このとき当選者の半数以上を占めていたのはいわゆる「無職」の女性たちでした。

「婦人の地位向上」というモチベーションだけでなく、戦後の荒廃から食糧配給を良くしたいという思いの一般女性が多くいたのです。









昭和初期の女性議員


少し深堀りをして、昭和初期の有名な女性議員をピックアップしてご紹介します。

まず一人目は、1945年の婦人参政権・男女普通選挙の実現に貢献した「市川 房枝(いちかわ ふさえ)」さんです。




市川 房枝(参議院議員:無所属)
暴君であった父からげんこつで、いや、ときには薪雑把で殴られながら、じっと我慢していた母の姿がきっかけになった
平和なくして平等なく、平等なくして平和なし


彼女は1893年(明治26年)、愛知県中島郡(現在の一宮市)の農家の3女として生まれました。彼女の父親は「お前たちはみんな勉強をせよ。自分が一生懸命に働いて、行きたい学校に行かせてやる」と子どもに言い聞かせていたほど教育熱心な方でした。その一方、母親には日常的に暴力を振るったり暴言を吐くなど、いわゆる家庭内暴力のある環境で育つことになります。

母親は「女に生まれたのが因果だ」と嘆きながらも子どもたちのために耐え忍んでいましたが、そんな母親の姿が彼女を突き動かす原動力となり、活動の出発点となりました。

彼女は人生の中で結婚を考え、縁談もいくつかありましたが、社会や女性のために働くことを選んで生涯独身となります。その後、戦後 60歳で参議院議員として活躍し、1980年の選挙では87歳の高齢にもかかわらず全国区でトップ当選を果たしました。

家庭に尽くすのではなく、社会問題に取り組むことに人生を捧げた女性のロールモデルの一人と言えます。



続いて二人目は、1946年の衆議院総選挙で 27歳の若さで当選を果たした「園田 天光光(そのだ てんこうこう)※旧姓:松谷」さんです。




園田 天光光(衆議院議員:自由民主党)
「乗り越えていくのだ」という意志が気力となり、勇気となり、胆力となるのです
やり抜く意志が肚(はら)をつくる。肚なんていうものは、最初からできるものじゃないし、つけようと思ってできるものでもない。結局は一つひとつの積み重ねです


彼女は1919年(大正8年)、実業家・松谷正一の長女として東京都で生まれます。

幼少期より「男女の別はない」と父親に教えられていたことから、「これからの女性は男性と同じ理解力を持たなければいけない」と考え、東京女子大を卒業後に共学を再受験。そうして選んだ早稲田大学法学部を1942年に卒業し、太平洋戦争まっただ中の1944年より海軍省報道部にて「勤労動員のカウンセラー」として勤務します。

彼女の政治参加へのモチベーションは戦後日本の状況にありました。自分が生き残ったことへの罪悪感に苛まれながら過ごしていたところ、ラジオ放送で「上野公園で餓死者が累々と横たわっている」との報に触れます。実際に上野へ赴き、飢餓に苦しむ路上の人々を目の当たりにしたことが彼女の活動の原点となります。

その後、自らが中心となって結成した「餓死防衛同盟」の委員長として選挙に当選し、27歳にして日本初の女性国会議員の一人となりました。

彼女が81歳になった2000年。野田 聖子参議院議員の妊娠をきっかけに「国会議員の産休制度創設」の是非が議論された際には、当時の現職議員唯一の出産経験者として「賛成」の立場で会議に参画。一部の反対勢力を打ち負かして国会規則の改正に貢献するなど、市川房枝さん同様、年齢によらない活躍を見せました。









世界の女性議員比率と日本

時を現代に戻して、世界各国の女性議員比率を見てみましょう。

データによると、アジア圏の隣国である韓国は17.3%と日本の2倍に迫るほか、西欧諸国にいたっては30~40%台を実現しています。

一方、2022年7月に世界経済フォーラム(WEF)が発表した「Global Gender Gap Report 2022(世界男女格差報告書)」では、日本の政治分野での女性参画レベル「146カ国中 139位」にランク付けされるなど、わが国は厳しい状況にあります。女性首相が一度も誕生していないという現状からも、その深刻さがうかがえます。









今後の日本社会と女性議員

日本人口に占める男女割合がほぼ半々であるのに対し、国会議員の女性比率が2割を切っている状況下では、社会全体での平等な議論が成熟しません。出産・育児に関する施策女性特有の病気へのケアなど、女性が必要としている政策の実現性を高めるには比率をさらに改善していく必要があります。

政治を志す後続の方のロールモデルとして、現在国会で活躍されている女性議員のますますの活躍が期待されます。









日本の女性議員まとめ

最後に、現在国会で活躍されている衆参両院の女性議員をご紹介します(随時更新中)。気になる方がいましたらぜひチェックしてみてくださいね。